きゅうじのブログ はてな版~日本人として知るべき出来事。

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★「女性天皇」と「女系天皇」とは何がどう違うのか?

馬渕睦夫氏「来年の問題は男系父系の皇統維持に尽きる。我々の命に直結している問題。

来年、我々に問われているのは行動。

天皇陛下を守るために、我々の2700年の伝統を守るための行動。我々は心を一つにして団結しなければ日本列島は沈没する。来年は我々がこれまで生きてきた真価が問われる年」

皆さんは反日勢力の情報操作に騙されていませんか?

女性天皇」と「女系天皇」の区別がついていない人はまだまだ多いと思います。

これはある勢力がわざと「女性天皇」と「女系天皇」を混同させ「女性差別」を意図的に織り混ぜているのです。

そもそも天皇は誰でもなれるものではありませんので「女性差別」や「男女平等」の概念は関係ありません。

これは特定野党のバックボーンである天皇陛下を日王などと呼ぶあの特定民族が「天皇家を乗っ取り、皇統を途絶えさせたい」という策略の「日本文化の破壊」に他ならないのです。

では「女性天皇」と「女系天皇」とは何がどう違うのか? 

父方の血筋を辿っても天皇に辿り着かない血筋の者が天皇になってしまった場合が「女系天皇」です。126代続いている「男系天皇」は1度でも途切れれば、もう2度と戻る事はありません。

推古天皇を始め10人程「女性天皇」はおられましたが、全て「繋ぎ」です。

過去に一度も「女系天皇」が誕生した例は無いのです。

X染色体とY染色体 

百田尚樹「男はXY、女はXXを持ってる。男が生まれたら父親のYを受け継ぐ。娘がある男と結婚した場合、男が生まれたらXYだが、このY染色体は娘方の祖父のY染色体ではない。祖父の血統が途絶える」

女性・女系天皇 

百田尚樹「波平を天皇とするイソノ朝とした場合、サザエ・ワカメが継いだら男系女性天皇。カツオが継ぐと男系天皇。でもタラオが継いだら女系天皇となり、フグタ朝に王朝が代わってしまう。皇室はずっと男系で続いてきた」

カーズ‏ @karz_dayo

分かりやすい説明 

ただ、ネットでは既に出回っている例ですね。

この家系図は、磯野家を蘇我氏藤原氏、平家の例え、天皇家をフクダ朝に例えとし、そこに嫁ぐ磯野政権一族のサザエさん という外戚政策による磯野政権(蘇我、藤原、平家)維持の歴史の説明にも使えます。

女性天皇」の配偶者が皇族に入るのを認めると、皇族に入るのを狙ってくる奴が絶対に現れるから駄目なのです。だから特定野党は「女系天皇」を認めさせたいのです。

女性宮家の創設とは「制度化された道鏡」に他ならない

(中略)

皇室における男系継承とは、「父親をたどれば必ず天皇に行きつく皇族だけに皇位の継承資格がある」ということである。

今上陛下の父上は昭和天皇、その父上は大正天皇…とたどると江戸時代の光格天皇にたどりつく。

その光格天皇閑院宮家出身で、父親は典仁親王だ。父方の祖父は直仁親王、さらに父方の曽祖父は東山天皇である。

このように、歴代天皇はすべて男系で継承されている。一回も例外はない。

しかし、何度か危機があった。最大の危機として歴史に名を残すのが道鏡事件である。

称徳天皇の祈祷僧で愛人とも噂された弓削道鏡を、次の天皇に据えようとの陰謀が行われ、何とか阻止された。

さて、世の中には女性宮家を創設し、その配偶者の民間人を皇族として扱い、さらに女性宮との間に生まれた子供も皇族にしようとの目論見がある。これは「制度化された道鏡」に他ならない。

道鏡のように皇室を乗っ取ろうとする輩が現代に現れたら、女性宮を口説き落として皇室に入り込もうとする輩が出現しかねないと危惧する理由がわかるだろうか。

女性宮家自体は先例があるので、絶対にやってはいけないわけではない。しかし、吉例であろうかどうかの検討は必要である。

江戸時代、桂宮家が絶えそうになった時に、淑子(すみこ)内親王がお継ぎになられた。しかし、婚約者の愛仁(なるひと)親王がお亡くなりになられ、生涯を独身で通したので、桂宮家は断絶した。女性宮家を立てるのは良いが、配偶者が皇族でなければ、その子は皇族にはなれない。

皇室の不文法に「君臣の別」がある。

わが国の歴史で、民間人の男性が皇族になった例は一度もない。

一方で、民間人の女性が皇族となった例は、古くは藤原光明子光明皇后となられた先例にさかのぼる。今の皇后陛下が正田、皇太子妃殿下が小和田の苗字を持つ民間人から皇族になったように、女性は排除されていない。

男系が絶対だからである。

男系とはすなわち「男性排除」の論理に他ならない。

それだけに女帝の運命は過酷である。

歴代八方の女帝はすべて未亡人か生涯独身である。

推古、斉明、持統、元明の四方は即位された時に未亡人であった。全員、配偶者は皇族である。だから、自分の子供は皇族であるし、皇位を引き継がせてよい。

一方、元正、称徳、明正、後桜町の四方は、生涯独身であられた。

自分の愛人を天皇にしようとした称徳天皇のようになられては困る。

また、結婚した男が道鏡のような野心を抱いても困る。

元正、明正、後桜町の御三方とも、自らを律した。「眞子内親王殿下には皇籍に御残りいただき、女性宮家の先鞭をつけていただきたい」とは、小室さんを道鏡にしようということか。

一番迷惑するのは小室さんだろう。

また、「眞子さんと小室さんの間に生まれた子供に皇族になっていただき、皇族の減少を防ごう」などという暴論が許されるなら、摂関政治などと言う迂遠(うえん)なやり方は必要なかったではないか。

平安時代に権力を誇った藤原氏は、「自分の娘を次々と天皇の妻に送り込み、その二人の子を天皇に据える」ということを繰り返した。

皇室は男系継承が絶対だからである。

ところが、一部の者が主張する女性宮家などが許されるなら、藤原道長のような権力者は内親王と結婚し、自分の子供を天皇にすればよかったではないか。

なぜそれができなかったか。

道長がそれをやって自分の子供を天皇にしようとしたら、それは女系天皇である。皇室の歴史では許されない。

平安時代に権力を掌握した藤原道長
平安時代に権力を掌握した藤原道長

藤原道長と言えば、三条天皇をいじめ殺すなど横暴の限りを尽くした。

道長のような横暴を行った権力者は何人もいる。しかし、その誰もが「皇族の女性と結婚して自分の子供を皇族にする」などとは考えなかった。

自分が皇族と結婚して子供を天皇にしてよいなら、「天皇をいじめ殺す」などという回りくどいやり方をする必要はない。

道鏡以外で自分の子供を皇族にしようなどと考えていたのは、足利義満だけである。

確かに義満は自分の妻の康子を国母として扱わせ、息子の義嗣を親王の儀式で元服させた。足利義満は後円融上皇を廃人同様に追い詰めて、治天の君の如く振る舞った。

しかし、後円融上皇から治天の地位を奪い、それを朝廷に完全に認めさせるのに三十年の歳月をかけている。

史上唯一、「皇位簒奪(さんだつ)に肉薄した民間人」と評される足利義満が、現在の女性宮家の議論、「眞子さんと小室さんの間に生まれた子供に皇族になっていただき…」などという議論を聞いたら卒倒するだろう。

「そんなことでいいのか?」と。

繰り返す。女性宮家にも二つの議論がある。
一つは桂宮家の先例である。

男性皇族が激減している中で配偶者の方はどなたになるだろうか。

あえて探すとすれば、旧皇族の方々になるのではないか。旧皇族の適齢期の方々は、男系でたどると北朝第三代崇光天皇にたどりつく。

女系でたどっても、明治天皇の五世の孫の世代となる。この血の遠さが旧皇族皇籍復帰への批判点として上げられる。ならば、その方々よりも女性宮の配偶者にふさわしいのは誰か。難問である。

もう一つは、まったくの新儀である。

女性宮家を創設して、その配偶者は民間人の男性で良い、その子が皇族となり皇位を継承しても構わないとする暴論である。

論外である。皇室には、神武天皇の伝説以来、「二千六百七十七年」に及ぶ先例がある。それだけに、生半可な知識で議論には参加できまい。

しかし、国民が皇室についての議論を見守る際、一つの明確な基準がある。

その議論がいかなる先例に基づいているのか、である。果たして、女性宮家創設とは、いかなる先例に基づいているのか。

https://ironna.jp/article/6756?p=1