きゅうじのブログ はてな版~日本人として知るべき出来事。

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★日本人にどうしても知って欲しい「13秒」


自衛隊MAD〜守りたいものがある〜コードブルー

1999年11月22日午後、航空自衛隊入間基地所属のT‐33型Aジェット練習機が埼玉県狭山市の入間基地北東約2キロの河川敷に墜落した。 パイロット2名は殉職した。 

その際に東京電力の高圧送電線を切断し、東京・埼玉の約80万世帯で停電する事故が起きた。 

翌日、新聞各紙は大々的に報道して「自衛隊機、また事故」「東京・埼玉で一斉停電」「税金の無駄使い」 そして、T-33型Aジェット練習機と伝えられたため「パイロットが未熟だったために事故は起こった」と自衛隊は散々に叩かれた。 

当時の瓦力防衛庁長官が謝罪する事態にまで発展した。そんな無責任な批判を覆すことになったのは1年後の航空事故調査委員会の報告書だった。 

「事故は漏れた燃料に電気系統からの火花によって着火し、火災が発生したと断定し、パイロットおよび整備員に過失はなかった」と発表した。 

事故発生時、機長は管制に「ベイル・アウト(緊急脱出)」と告げていた。 

ところが、2名のパイロットは緊急脱出せず機内に留まり、狭山市街地への墜落を回避するための必死の操縦が行われていたとみられる。 

「ベイル・アウト(緊急脱出)」告げた時の高度は高度360mで、ぎりぎりパラシュートが開く高さだった。 実は、2名のパイロットはベテランで、そんなことは十分承知していた。 

機体が河川敷に向かったことを確認したのは「ベイル・アウト(緊急脱出)」宣言の13秒後であった。 

この時、地上との距離は70m、機長は再び「ベイル・アウト」を宣言して2名のパイロットは脱出するが、当然にパラシュートは十分に開かず2名とも地面に叩きつけられ死亡した。 

彼らは覚悟の死であった。 

2名のパイロットは助からないのに、なぜわざわざ脱出装置を作動させたのか。 

その答えをあるマスコミのインタビューに自衛官が答えている。 

彼は「駄目だと分かっていても、最後の瞬間にわずかでも時間があれば、脱出装置は作動させます。そうしないと、脱出装置を整備した整備員に、要らぬ心配をかけますから」

と述べている。 

その刹那に2名のパイロットは何を思ったのだろう。 

家族や友人のことだろうか。

 いや、脱出装置を整備してくれた仲間の仕事に間違いがなかったことを伝えたかったに違いない。 それが助かることは無理だと覚悟しながらの脱出装置を作動させる行為につながったのだろう。 

彼らの行動は人間の尊厳に満ちたものであった。 

※ベテランパイロットがT-33A練習機に搭乗していたのは、同機がパイロット養成の他に基地間の連絡機としても使われていたため。

1999年12月1日付学校信「藤棚」

「人間を矮小化してはならぬ」 小川義男 

狭山ケ丘高等学校校長)先日、狭山市の柏原地区に自衛隊の練習用ジェット機が墜落しました。たまたま私は、寺田先生(注:教頭)と共に、あの近くを走っていましたので立ち寄ることにしま した。

すでに付近は閉鎖されていて、近くまで行くことはできませんでしたが、それほど遠くないあたりに、白煙の立ち上るのが見えました。 

見上げると、どのような状態であったものか、高圧線がかなり広範囲にわたって切断されています。

高圧線は、あの太くて丈夫な電線ですから、切れるときはぶつんと切れそうなものですが、多数の細い線の集まりからできているらしく、ぼさぼさに切れています。

何か所にもわたって、長くぼさぼさになった高圧線が鉄塔からぶら下っている様は、まさに鬼気迫るものがありました。

聞くと、操縦していた二人は助からなかったそうです。

二佐と三佐と言いますから、相当地位の高いパイロットだと言えます。

二人とも脱出を試みたのですが、高度が足りなく、パラシュート半開きの状態で地面に激突し命を失った模様です。

以前、現在防衛大学の学生である本校の卒業生が、防大合格後航空コースを選ぶというのを聞いて、私がとめたことがあります。

「あんな危ないものに乗るな」と。彼の答えはこうでした。

「先生、戦闘機は旅客機より安全なのです。万一の場合脱出装置が付いており、座席ごと空中に打ち出されるのですから」と。 

その安全な戦闘機に乗りながら、この二人の高級将校は、何故死ななくてはならなかったのでしょうか。

それは、彼らが十分な高度での脱出を、自ら選ばなかったからです。

おそらく、もう 百メートル上空で脱出装置を作動させていれば、彼らは確実に 自らの命を救うことができたでしょう。

47歳と48歳と言いますから、家族に取りかけがえもなく尊い父親であったでしょう。

それなのに、何故彼らはあえて死を選んだのでしょうか。 

実は、あの墜落現場である入間川の河川敷は、その近くに家屋や学校が密集している場所なのです。

柏原の高級住宅地は、手を伸ばせば届くような近距離ですし、柏原小、中学校、西武高等学校も直ぐそばです。

百メートル上空で脱出すれば、彼らは確実に助かったでしょうが、その場合残された機体が民家や学校に激突する危険がありました。

彼らは、助からないことを覚悟した上で、高圧線にぶつかるような超低空で河川敷に接近しました。

そうして、他人に被害が及ばないことが確実になった段階で、万一の可能性に賭けて脱出装置を作動させたのです。

死の瞬間、かれらの脳裏をよぎった者は、家族の顔でしょうか。それとも民家や学校を巻き添えにせずに済んだという安堵感でしょうか。 

他人の命と自分の命の二者選択を迫られたとき、迷わず他人を選ぶ、この犠牲的精神の何と崇高なことでしょう。

皆さんはどうですか。

このような英雄的な死を選ぶことができますか。私はおそらく皆さんも同じコースを選ぶと思います。私も必ずそうするでしょう。

実は人間は、神の手によって、そのように作られているのです。

人間はすべてエゴイストであるというふうに、人間を矮小化(わいしょうか)、つまり実存以上に小さく、卑しいものに貶(おとし)めようとする文化が今日専らです。しかしそうではありません。

人間は本来、気高く偉大なものなのです。

火災の 際の消防士の動きを見てご覧なさい。

逃げ遅れている人があると知れば、彼らは自らの危険を忘れて猛火の中に飛び込んでいくではありませんか。

母は我が子のために、 父は家族のために命を投げ 出して戦います。

これが人間の本当の姿なのです。

その愛の対称を家族から友人へ、友人から国家へと拡大していった人をわれわれは英雄と呼ぶのです。 

あのジェット機は、西武文理高等学校の上を飛んで河川敷に飛び込んでいったと、 佐藤校長はパイロットの犠牲的精神に感動しつつ語っておられました。しかし、新聞は、この将校たちの崇高な精神に対して、一言半句のほめ言葉も発しておりません。

彼らは、ただもう自衛隊が「また事故を起こした」と騒ぎ立てるばかりなのです。

防衛庁長官の言動も我慢がなりません。

彼は、事故を陳謝することのみに終始していました。          

その言葉には、死者に対するいたわりの心が少しもありません。 

防衛庁の責任者が陳謝することは、それは当然です。

国民に対してばかりか、大切な隊員の命をも失ったのですから。しかし、陳謝の折りに、大臣はせめて一言

「以上の通り申し訳ないが、隊員が国民の生命財産を守るため、自らの命を犠牲にしたことは分かってやって頂 きたい。自衛隊に反発を抱かれる方もあるかも知れないが、私に取り、彼らは可愛い部下なので、このことを付け加えさせてもらいたい。」

くらいのことが言えなかったのでしょうか。

隊員は命を捨てて国民を守っているのに、自らの政治生命ばかり大切にする最近の政治家の精神的貧しさが、ここには集中的に表れています。まことに残念なことであると思います。

このような政治家、マスメディアが、人間の矮小化をさらに加速し、英雄なき国家、エゴ イストのひしめく国家を作り出しているのです。 

人は、他人のために尽くすときに最大の生き甲斐を感ずる生き物です。他人のために 生きることは、各人にとり、自己実現にほかならないのです。

国家や社会に取り、有用な人物になるために皆さんは学んでいます。

そのような 人材を育てたいと思うからこそ、私も全力を尽くしているのです。 

受験勉強で、精神的に参ることもあるでしょうが、これは自分のためにではなく、公(おおやけ〕のためである、そう思ったとき、また新しいエネルギーが湧いてくるのではないでしょか。

受験勉強に燃える三年生に、連帯の握手を!

日本と世界の未来を担う若者からの提言 我那覇真子

これまで押し付けられた憲法を我々はどうにか解釈改憲という事で誤魔化してきました。

その矛盾を今度はどのように誤魔化そうとしているのか・・・

加憲改憲であります。

私は日本国を守るためにも破憲改憲が必要であると思っております。
破憲改憲の破は破るです。
どういう意味でしょうか。
よく考えて見てください。

今我々日本国を守ってくださっているのは誰でしょうか。
自衛隊の方々です。
その方々が、加憲改憲を待っていられるでしょうか。
それが成立する前にもし事が起きたら我が国に危機が迫ったら我々はどうするんでしょうか。
自衛隊はどうするんでしょうか。
その時に我々は選択を迫られます。
憲法を守るのか、日本国を守るのか。

この選択です。
私は自衛隊が国民を守ってくださること国家を守ってくださることを信じています。
皆様いかがでしょうか。
そして、その自衛隊が我々国民を守ることが出来るのは我々国民が世論を作ってはじめて自衛隊は我々を守ることができるのです。

つまるところ、自衛隊は国民を守り、国民は自衛隊を守るのです。 

我那覇真子 講演全文【日本と世界の未来を担う若者からの提言】左矢印全文はこちら

今の憲法では自衛隊は真の力を発揮できず、日本を守りきれません。

今こそ国の安全保障を国民に訴えるべきです。