きゅうじのブログ はてな版~日本人として知るべき出来事。

きゅうじのブログアメブロ版のミラーサイトです。日本人自身が本当の歴史を知ることが一番大切だと思います。特亜の嘘に対して日本人の誰もが事実に基づききちんと反論することが大切だと思います。

★日本とアジアの大東亜戦争

東亜戦争の真実

国家のために尊い命を捧げられた数多の英霊

に感謝と哀悼の思いを是非感じてほしい。

彼らがいたから私たちがいるのです。

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令和の時代に入り若者を中心に戦後の呪縛から解き放たれる時が来たと思います。

それには大東亜戦争における大日本帝国の大義名分である「大東亜共栄圏」に至るまでの「白人国家によるアジアの植民地政策」がいかに酷かったのか。知らなければならないと思います。

私たちが日本で、日本人として生まれる事ができたのは、命果てるまで最後まで植民地支配と戦って家族達を残してくれた先人たちのおかげです。

正しい歴史認識を持ち、先人たちに感謝する心を忘れずに日本人として8月15日を迎えましょう。

和解を望む日本に付きつけられた米国からの最後通告!自虐史観を覆す衝撃の事実!


和解を望む日本に付きつけられた米国からの最後通告!自虐史観を覆す衝撃の事実

hospanedoc

ルーズベルトとチャーチルの陰謀によって日米は開戦した。 

チャーチルは独の連日の空爆に晒され、米国の参戦を強く望んでいた。 

ところが米国民は、遠くの国同士の喧嘩に、なんで米国が参戦しなくてはならないんだ、と強く拒否反応を示していた。 

ルーズベルトは、日独伊三国同盟のうち、日本にターゲットを絞り徹底的に嫌がらせを行い、日本が開戦に踏み切るのをじっと待った。 

供給路遮断とハルノートによる最後通告で開戦をルーズベルトは達成した。 

天皇陛下による米英に対する宣戦詔書です。

日本人から見た答えがここにあります。


【転載自由】昭和天皇  米国及び英国に対する宣戦(開戦)の詔書 ( 第二次世界大戦  大東亜戦争 太平洋戦線「太平洋戦争」)

神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。

私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。

私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、 私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、 私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げ この戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。

そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、 遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。

そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。

今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。

まことにやむをえない事態となった。

このような事態は、私の本意ではない。

中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、 みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に 武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。

さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。 帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、 ともに提携するようになったが、 重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である 南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。

米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、 東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、 東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。

あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、 軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の 平和的通商にあらゆる妨害を与へ、 ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。

私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとさせようとし、長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、 むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。

このような事態がこのまま続けば、 東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、 ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。

ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。  

皇祖皇宗の神霊をいただき、 私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、 すみやかに禍根をとり除き、 東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。

その結果、日本は自らの身を滅ぼして、重大な二つのことに貢献した。 

ひとつはヒットラードイツの消滅。 

ふたつめは、アジアから白人を駆逐し、各国の軍隊を教育して独立を達成したこと。 

世界の歴史上、このような偉業を達成した国はあろうか? 

これは八紘一宇、東亜共栄圏の思想が正しかったことによるものと思う。 

戦後禁止された八紘一宇という言葉、思想を再び日本国民は知るべきであると思う。

大東亜戦争とは何だったのか。


大東亜戦争とは何だったのか。

「日本人が世界に誇るもの」

http://www.squarehills.sakura.ne.jp/daitoua-sensou.htm

タイ国元首相「ククリックド・プラモード氏.」

「日本のおかげでアジアの諸国は全て独立した。 日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは、身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが 身を賭して重大決意をされた日である。 我々は、この日を忘れてはならない」。   

(十二月八日、現地新聞「サイアム・ラット紙」) 

インド元大統領「ラグ・クリシュナン氏」    

「インドは当時、イギリスの浮沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ日本が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという 気持ちが起きた。      

(昭和四十四年「日本経済新聞」)    

インドネシア元情報宣伝相「ブン・トモ氏」 

「我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して 何度となく独立戦争を試みたが全部失敗した。インドネシアの場合は三百五十年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の目の前で、徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全部が自信を 持ち、独立は近いと知った。一度もった自信は決して崩壊しない。日本が敗北したとき、「これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力で やれば五十年はかかる」。と思っていたが、独立は意外にも 早く勝ち取ることができた」。    

インド極東国際軍事裁判判事「ラダ・ピノート・パール氏」    

「要するに彼等(欧米諸国)は、日本が侵略戦争を行ったという ことを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の十七 年間(昭和三年~二十年、東京裁判の審理期間)の一切を、罪悪と烙印することが目的であったに違いない。私は1928年から1945年までの十七年間の歴史を二年七ヶ月かか って調べた。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを、私は判決文のなかにつずった。その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。それなのに、あなたがたは自分等の子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ。」 「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ。」と教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の 判決文を通して十分研究していただきたい。 日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って卑屈、荒廃に流され て行くのを、私は平然として、見過ごすわけにはゆかない。あやまられた彼らの宣伝を払拭せよ。 あやまられた歴史は、書き換えなければならない。 

(昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所での講演)     

韓国 韓日文化研究所「朴 鉄柱氏」

 「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗れたのはむしろイギリス をはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼等はこの戦争で植民地を全て失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる。というのは、クラウゼビッツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり日本の戦争こそ「聖なる戦争」であった。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってはこないが、しかし彼等は 英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象と なるのである。   

(昭和四十二年十月)     

イギリス歴史学者「ウエールズ氏」 

この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等を もたらし、世界連邦の礎石をおいた。

米国ハワイ日本経済事務局長・政治学博士 「ジョージ・S・カナヘレ氏」

日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った、種々の仕事 の中で、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設 して、それに訓練を与えたことである。

(中略)

インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なものであった。これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と何千の兵士となり 復帰してきたオランダ勢力と独立戦争を戦う際の基盤となった。日本によって与えられた、このような機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。 

ビルマ元首相「バ・モウ氏」

約五十年前、ビルマは三回にわたる対英戦争の結果、その独立を 失いえり、英国側はアジアに対する掠奪的野望をもって、これらの 戦争を遂行した。愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流?、拷問およびしばしば 死を甘受して突進して行った、これらの英雄はビルマの生存のため、苦難を受け遂には屍たり。ビルマ人はアジアを結合させ、アジアを救う指導者を待望していたが遂に、これを大日本帝国に発見した。ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対し、日本への感謝を 永久に記録せんことを希望するものである。      

(ビルマ独立宣言より)     

インドネシア共和国元首相「モハマッド・ナチール氏」

大東亜戦争というものは、本来なら私達インドネシア人が独立のために戦うべき戦争だったと思います。 もしあのとき私達に軍事力があったなら、私達が植民地主義者と戦ったでしょう。大東亜戦争とは、そうゆう戦いだったんです。

イギリス歴史学者「アーノルド・J・トインビ氏」 

英国最新良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは特別にセンセーションをおこす出来事であった。それはまた、永続的な重要性をもつ出来事でもあった。なぜなら、1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本は全ての非西洋国民に対し西洋は無敵でないことを 決定的に示した。この啓示がアジア人の志気の及ぼした恒久的な影響は1667年の ベトナム戦争に明らかである。     

(昭和四十三年三月二十二日「毎日新聞」)

マッカーサー元帥の米国議会での談話記録  

(日本には)石油がない、錫がない、綿がない、ゴムもない。 その供給を全て絶たれたなら、どんな小国であっても戦争を 決断する。 

GHQ参謀部長「C・ウイロビー」   

東京裁判は史上最悪の偽善だ。もし米国が同じ立場であったら 日本と同じように戦っただろう。

イギリス歴史学者「トインビー」 

第二次世界大戦において、日本人は日本のためよりも、むしろ 戦争によって利益を得た国々のために偉大な歴史を残した。それらの国々とは、日本の掲げた大東亜共栄圏に含まれた 国々である。日本人が歴史上のこした最大の業績は、世界を支配していた 西洋人が「不敗の神」ではないことを示した点である。      

中華民国顧問「O・ラティモア」 

日本が立派にやり遂げたことは、欧米の植民地帝国を完全に破壊したことである。 

社会学者 H・アミーズ女史 著書「アメリカの鏡・日本」  

東京裁判は正義ではなく、明らかにリンチだ。私達アメリカが どうして日本を罰することができるのか?私には理解できない。

ネイール元インド首相  

彼等(日本)は、謝罪を必要とすることなど我々にはしていない。それ故にインドはサンフランシスコ講和会議には参加しない。講和条約にも調印しない。

(52年日印平和条約締結)     

G・デザイ(印弁護士会会長) 

インドの独立は日本のおかげで30年早まった。この恩を忘れてはならない。

G・シャフエー(マレーシア外相) 

なぜ、日本が謝るのでしょうか?あの大戦でマレーシア人と同じ 小さな体の日本人が大きな体のイギリス人を追っ払ってくれたではないですか?日本なくして東南アジアの独立はありませんでした。この日本の尊い犠牲を否定することは、バックミラーばかり見て いるようなものです。 

仏ドゴール首相  

シンガポール陥落は、白人植民地主義の歴史に終焉をもたらした。ラジャ・ダド・ノンチック(上院議員) 我々ら日本軍を歓迎で迎えた。日本は将来の我々のために 多くのものをもたらしてくれた。 我々は日本から学んだことは「国を守る術」だった。 

歴史家 「Z・アビディーン」 

日本軍政はマレー人の独立の種を撒き成長させた。  

ゴー・チョクトン首相(シンガポール) 

日本の統治は過酷なものだった。しかし、日本軍により欧米の植民地支配は粉砕された。これはアジアに自信をもたせた。大戦後15年以内にアジアの 植民地は全て開放された。 

オン・サン(ビルマ独立の父) 

日本の軍事訓練は厳しすぎた。何度か自殺を考えるほどだった。しかし、ラン・グーンが落ちたとき、我々は間違っていないことを確信した。1948年8月1日 独立を宣言 しかし、日本軍の劣勢は彼等の決断をせまる。 独立維持の密約をイギリスから取り付けたオン・サンは、日本からの離反を決意。同士の説得を開始する。

ミン・オン(ビルマ義勇軍設立メンバー) 

その判断は正しい。ビルマは生き残る術は他にない。 しかし・・・・・。

私は日本を裏切ることはできない。 ミン・オンは離反を拒否し自決の道を選んだ。・・・・

終戦後、イギリスは密約を無視。再植民地化に乗り出すがイギリスはそれが不可能であることを悟った。日本とオン・サンらが育てた、ビルマ義勇軍10万が英に立ちはだかった。1948年1月4日ビルマ完全独立、式典にオン・サンの姿は なかった。

(47年7月暗殺 32歳)  

初代ビルマ首相 バ・モウ 

「真の独立記念日は1948年1月4日ではない。1943年8月3日だ。独立の真の理解者は東條大将と大日本帝国だった。 M・ハッタ(インドネシア独立の父)日本の戦いは8月15日に終わった。我々の戦いは8月17日に始まった。オランダは独立の腹いせに、多額の債務インドネシアに要求した。これを、戦時賠償の形でかたがわりしたのが日本であった。サン・パス復員軍人相 戦争が終わったあと多くの日本人が帰らずに我々と戦ってくれた。 国軍墓地に葬り、勲章を贈った。しかし、それだけではたりないものを、彼等は我々に与えてくれた。 

ラ・ムジャ陸軍大将 

日本にはあと五年がんばってほしかった。そうすれば中東とアフリカはもっと早く独立できたはずだ。中東もアフリカもこんなに苦しまずにすんだはずだ。

ナーセル 第二代エジプト大統領 

アジアには日本がいた。アラブには日本がいない。 

ブン・トモ インドネシア首相 

あの戦争は我々の戦争であり、我々がやらなければならなかった。 それなのに全て日本に背負わせ、日本を壊滅寸前まで追い 込んでしまった。申し訳ない。

http://www.squarehills.sakura.ne.jp/daitoua-sensou.htm(抜粋)

 

先の大戦は太平洋戦争ではなく、まさしく大東亜戦争でした。それ以外の呼称はふさわしくありません。そう思いませんか。

kyujisp.hatenablog.com