きゅうじのブログ はてな版~日本人として知るべき出来事。

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★【通州事件の惨劇】中国人の野蛮さと猟奇的さは人間とは思えません。


恨みは深し通州城ー通州事件を胸に刻むために

この事件を知らない日本人がまだ多いと思います。過去に多くの日本人が中国人に虐殺されています。日本が占領されたら、もっと酷い目に遭うかもしれません。


「通州事件」 目撃者の証言

通州事件

通州事件(つうしゅうじけん)とは、1937年(昭和12年)7月29日に中国の通州(現:北京市通州区)において冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が、日本軍の通州守備隊・通州特務機関及び日本人居留民を襲撃・殺害した事件。通州守備隊は包囲下に置かれ、通州特務機関は壊滅し、200人以上におよぶ猟奇的な殺害、処刑が中国人部隊により行われた。

陸軍大学「支那事変初期ニ於ケル北支作戦史要」によると、通州在留日本人は385名。

うち223名(内地人117名、半島人106名)が虐殺された。背景に通州事件の3週間前の7月7日には盧溝橋事件が勃発し宋哲元の第29軍と日本軍支那駐屯軍が衝突していた。

通州事件通州虐殺事件とも呼ばれる。

上記は有名なプロパガンダ有害図書はだしのゲン」ですが、このような描写は日本軍が行った蛮行では無く、日本人が中国人にやられた蛮行なのだ。

中国人は日本人の目を抉り取り、腹部を切り裂いて10・以上も腸を引っ張り出した。

女性を犯したうえで無残に殺した。

何人もの日本人を生きたまま針金で掌を貫いてつなぎ、なぶり殺しにした。

日本人の遺体は全て蓮池に放り込まれ、池は真っ赤に染まった。

通州事件 目撃者の証言』(藤岡信勝編著・自由社

 

※18歳未満の方と女性の方はお読みにならないでください。

通州事件の惨劇「Sさんの体験談」

 

私たちは本当の歴史を知らなければならない。日本人は加害者では無く、被害者なのだ。

中国人はこれを日本人が中国人にした事として喧伝しているのだ。

中国人の野蛮さと猟奇的さは人間とは思えない。朝鮮人と同類項なのだ。

※ウィグル人の子供への暴力

「彼が息子の身体にしたことです。想像してください!ウイグル人はどうなりますか?」

中国人も酷いが朝鮮人も酷い。

朝鮮・韓国人による日本人虐殺事件-『〇夫一家殺害事件』 

〇夫一家は日頃から朝鮮人を愛し、日本の軍国主義を批判していた。だが、天皇の降伏宣言後、自ら育てた『朝鮮人孤児達によって、むごたらしく虐殺された』 

〇夫の孤児キム・ソンス君の報告 
〇夫さんが実の子のように育て、東京帝国大学まで留学させていた朝鮮人Aを中心に、〇夫さんの家で教育を受け、成人するまで育ててもらった朝鮮人青年達が、カマとツルハシ、シャベルをもって、〇夫さんのもとに押しかけた。当時、現場にいたキム・ソンス君は、この時の状況をこう語っている。 
〇夫:(優しい目で)何故こんなことを、お前たち。 
朝鮮人A:チョッパリ!日本へ失せろ!失せろってんだ!! 
〇夫:(わざと怒り声で)「私が何かお前たちに間違った事をしたかい?お前たちは、みな私の子供達だし、私はこの家の家長でありお前たちの父親だ。お前たちの祖国が独立する事は、私も日頃から強く望んできた事だ。踊りたくなるような嬉しい日に、なんだって凶器を持って私のところに摘めかけてきたんだい?私はお前たちをこんな風に教育した覚えはない。(涙を流して)本当に悲しいよ、朝鮮の子供達。私は愛情を注いで育ててきたが、結局、日本人と朝鮮人は交じり合う事は出来無いということなのかい?お前たちが望むんなら、帰ってやろう」 
朝鮮人A:意味深長な目配せをBに送る。(財産を全部処分して帰ったら、俺達はどうやって食ってくんだ?) 
朝鮮人B:死ね!チョッパリ!!(日本人への蔑称)この糞野郎!!! 
次々にツルハシが〇夫さんの後頭部に振り下ろされ、それと同時にたくさんのシャベルとカマが体をズタズタに引き裂き始めた。

〇夫さんの妻は耐えられずに飛び出してきた。それまでじっとしていた朝鮮人Cは、〇夫さんの妻を見ると、彼女の髪をつかんで庭の片隅まで引きずっていった。 
そして、なんとその〇夫の孤児達13人は、一週間前まで「お母さん」と呼んでいた“彼女を強〇し始めた”。彼女はひどい集団強〇の途中で虐殺された。

朝鮮人Dは、普段、お母さんと呼んでいた彼女の“全身をめった刺し”にし、それでも足りずに“内臓をかき出して”撒き散らした。 

全文はこちら↓

http://bbs.jpcanada.com/log/6/2950.html

同じ人類とは思えません。

『竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記』 

母がプラットフォームに行ったがヒデヨは来ない。

コウはゴミ置き場から食べ物を拾ってきた。

ザックを盗まれそうになったが、「泥棒!」と叫び撃退。

米兵がソウル駅に来た。秋になった。荷物を持って河へ行き体を洗う。

河で髪を剃って、男にみえるようにする。胸もしばる。

コウ「ソウルにいる5週間の間に数人の朝鮮人が少女を藪に引きずって行って強姦したのを見た。少女は日本語で助けを呼んでいた」

母は駅長に釜山行の列車の状況を聞く。

明日の最終貨物便で釜山へ向かう事を母が決めた。

トイレに行った。ドアがなく、母とコウに見られないようにしてもらう。

若い女の人がトイレからでていったら悲鳴。

若い女が男四人に襲われていた。

私は何もできなかった。

独立式典。酒に酔った朝鮮人がコウに「男か女か?」聞いてきた。コウは男と答える。

「女に見える」と胸に手を入れて調べられた。(こんなこともあろうかと胸を事前に縛っていた)

「平らだ、少年は面白くない」と酔った朝鮮人男は去った。

朝鮮人男のグループが他で女を捜しまわり、見つけると引きずり出してゆく。

女の悲鳴がこだまする。

母とコウはその夜眠れなかった。翌朝、母とコウの目は充血していた。

向こうに線路が見える。線路を歩く避難民たちが見える。

寂しかったので嬉しく、追いつこうと早く歩く。機関銃の発砲音。崖に戻る。

朝鮮語で「みんだ死んだ」と聞こえる。

朝鮮人兵士が、死んだ避難民の身ぐるみを剥ぐ。金歯まで抜く、貯金通帳も盗む。

隠れる場所もないので松の木に登る。朝鮮人兵士4人が崖を上ってきた。

4人が分け前を話し合っている。分け前でもめて、ボスが部下を射殺。

ボスが歩いて去っていく。部下2人も暫く後、去っていく。ヒデヨはやっと木から下りる。

全文はこちら↓

http://www.twitlonger.com/show/n_1rjhdeh

私たちは日本人は特亜の危険性を知らなければいけません。

そして正しい歴史を次世代に伝えていかなければならないのです。

このままでは近い将来、また同じことが繰り返される事になります。

9条では何も守ってくれません。

昨今の状況を知り、それでもまだ戦争にならない。自衛隊違憲などと宣う日本人は似非日本人か基地外かどちらかではないでしょうか。