きゅうじのブログ はてな版~日本人として知るべき出来事。

きゅうじのブログアメブロ版のミラーサイトです。日本人自身が本当の歴史を知ることが一番大切だと思います。特亜の嘘に対して日本人の誰もが事実に基づききちんと反論することが大切だと思います。

★「宣戦詔書」「マッカーサーの告白」「震えるほど泣けてくる」

皆さんには戦後の自虐史観教育ではなく、真実を知ってほしい。 若い方は特に昭和天皇の事をよく知ってほしい。 戦前の天皇は絶対的な権力を持っていたように言っていますが、日本は立憲君主制で、天皇がなさることは憲法に規定されていることだけです。 天皇が持っていたのは権力ではなく権威です。 昭和天皇大東亜戦争終戦を自ら決断されましたが、それは政府が事実上、機能していない非常時(緊急時)だからであって、平時に天皇が政治に口を出すことはありません。 そういう意味では戦前も天皇は国民にとって精神的な支えであり、日本文化の「象徴」だったのです。

 

http://blog.livedoor.jp/hanadokei2010/archives/4791263.html抜粋

「宣戦詔書

「マッカーサの告白」

「震えるほど泣けてくる」

をご紹介します。

日本人から見たすべての答えがここにあります。

読んだことのない人はぜひ、この機会に一度目を通して見てください。

天皇制が約2700年続いている事には 私たち日本人の魂に触れる理由があるのです。

 

大東亜戦争開戦の詔勅には、日本がなぜ他国と戦争するのかという記述が簡潔に書かれてあります。

開戦時に官公庁や地方の役所に配付されたもの

大東亜戦争の開戦を布告した詔書です。

昭和天皇 米国及び英国に対する宣戦(開戦)の詔書
【転載自由】昭和天皇  米国及び英国に対する宣戦(開戦)の詔書 ( 第二次世界大戦  大東亜戦争 太平洋戦線「太平洋戦争」)

 ■日本天皇陛下による米英に対する宣戦詔書

神々のご加護を保有し、万世一系皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、 忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。 私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。 私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、 私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、 私の国民はおのおのその本分をつくし、 一億の心をひとつにして国家の総力を挙げ この戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。

そもそも、東アジアの安定を確保して、 世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、 その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、 遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。

そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、 帝国の外交の要としているところである。

今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。 まことにやむをえない事態となった。 このような事態は、私の本意ではない。

中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、 みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に 武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。 さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。 帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、 ともに提携するようになったが、 重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である 南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。

米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、 東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、 東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。 あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、 軍備を増強し、わが国に挑戦し、 更に帝国の 平和的通商にあらゆる妨害を与へ、 ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。 私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとさせようとし、 長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、 むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、 経済上・軍事上の脅威を増大し続け、 それによって我が国を屈服させようとしている。

このような事態がこのまま続けば、 東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、 ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。

ことここに至っては、我が帝国は今や、 自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。  

皇祖皇宗の神霊をいただき、 私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、 すみやかに禍根をとり除き、 東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。 

■「マッカーサーの告白」

日本の皆さん、先の大戦アメリカが悪かったのです。 日本は何も悪くありません。 日本は自衛戦争をしたのです。

イギリスのチャーチルに頼まれて、対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込んだのです。

アメリカは日本を戦争に誘い込むためにイジメにイジメぬきました。 そして最後通牒としてハルノートを突き付けました。 中国大陸から出て行けだの、石油を輸入させないなど、アメリカに何の権利があったというのでしょう。

当時、アジアのほとんどの国が白人の植民地でした。

白人はよくて日本人は許さなかったのです。 ハルノートのことは、私もアメリカの国民も知りませんでした。 あんな物を突き付けられたら、どんな小さな国でも戦争に立ち上がるでしょう。 戦争になれば圧倒的な武力でアメリカが勝つことは戦う前から分かっていました。 我々は戦後、日本が二度と白人支配の脅威とならないよう周到な計画を建てました。

アメリカは知っていたのです。 国を弱体化する一番の方法はその国から自信と誇りを奪い、歴史を捏造することだと。

戦後アメリカはそれを忠実に実行していきました。 日本がアジアを白人の植民地から解放しようとしたという本当の理由を隠すため大東亜戦争という名称を禁止し代わりに太平洋戦争という名称を使わせました。

東京裁判はお芝居だったのです。 アメリカが作った憲法を日本に押し付け、戦争ができない国にしました。 公職追放をして  まともな日本人を追い払い、代わりに反日的な左翼分子を大学など要職にばら撒きました。

その教え子たちが今マスコミ・政界などで反日活動をしているのです。

徹底的に検閲を行い、アメリカにとって都合の悪い情報は日本国民に知らせないようにしました。 ラジオ・テレビを使って戦前の日本は悪い国だった、戦争に負けて良かったのだと日本国民を騙しました。

これらの政策が功を奏し今に至るまで独立国として自立できない状態が続いているのです。 (※註:1951年の時点で正気に帰ったマッカーサーが、この今に続く問題を憂いている) 私は反省しています。自虐史観を持つべきは、日本ではなくアメリカなのです。 戦争終結に不必要な原子爆弾を二つも使って何十万人という民間人を虐殺しました。

最後に私が生きていた時の証言を記して謝罪の言葉としたいと思います。

「私は日本について誤解をしていました。日本の戦争の目的は侵略ではなく自衛のためだったのです。 太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の過ちは、共産主義を中国において強大にさせたことでした。東京裁判は誤りだったのです。 日本は八千万人に近い膨大な人口を抱え、その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接した何れにも劣らぬ優秀なものです。 歴史上のどの時点においてか、日本の労働力は人間が怠けているときよりも働き、生産している時の方が幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでよいようなものを発見していたのです。 これまで巨大な労働力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だという事を意味します。 彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らには手を加えるべき材料を得ることができませんでした。 日本原産の動植物は、蚕を除いてほとんどないも同然でした。 綿がない、羊毛がない、石油の産出がない。錫がない、ゴムがない、他にもないものばかりでした。 その全てがアジアの海域に存在したのです。 もしこれらの原料の供給を絶ちきられたら一千万から一千二百万の失業者が日本に発生するであろうことを彼らは恐れたのです。 したがって日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」

アメリカ上院軍事外交合同委員会の公聴会にて 1951年5月3日 ダグラス・マッカーサー

■震えるほど泣けてくる

終戦時において陛下に対する占領軍としての料理の仕方は、四つありました。 一つは東京裁判に引き出し、これを絞首刑にする。 一つは共産党をおだてあげ、人民裁判の名においてこれを血祭りにあげる。 三番目は、中国へ亡命させて中国で殺す。 そうでなければ、二〇個師団の兵力に相当するかと怯えた彼らです。

また第四番目は、闇から闇へ、一服もることによって陛下を葬り去ることでありました。 いずれにしても、 陛下は殺される運命にあったのです。 天皇は馬鹿か、気狂いか、偉大なる聖者か、いつでもつかまえられる。 かつては一万八〇〇〇人の近衛師団に守られたかもしれないが、 今や全くの護衛を持たずして、二重橋の向こうにいる。 … 陛下の割腹自刃の計画は、三度ありました。 貞明(皇太后)様は、(侍従に、)陛下から目を離さんように命じました。 じつに一番悩まれたのは、陛下でありましたでしょう。 九月二七日、陛下がただ一人の通訳を連れて、 マッカーサーの前に立たれたことは、皆様方もよくご承知の通りであります。

ついに天皇をつかまえるべき時が来た。

マッカーサーは、二個師団の兵力の待機を命じました。 マッカーサーは、陛下は命乞いに来られたものと勘違いし、傲慢不遜にもマドロスパイプを口にくわえ、ソファーから立とうともしなかった。 陛下は直立不動のままで、国際儀礼としてのご挨拶を終え、こう言われました。

『日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります』

――弱ったのは通訳でした。その通り訳していいのか ――しかし陛下は続けました。 『しかしながら、罪なき八〇〇〇万の国民が、住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。

温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように』 天皇は、やれ軍閥が悪い、やれ財界が悪いと言う中で、 一切の責任はこの私にあります、 絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処せられても… と淡々として申された。 このような態度を見せられたのは、われらが天皇ただ一人であったのです。 陛下は我々を裏切らなかった。

マッカーサーは驚いて、スクッと立ち上がり、今度は陛下を抱くようにして座らせました。 そして部下に、 「陛下は興奮しておいでのようだから、おコーヒーをさしあげるように」と。 マッカーサーは今度は一臣下のごとく、直立不動で陛下の前に立ち、 「天皇とはこのようなものでありましたか!天皇とはこのようなものでありましたか!私も、日本人に生まれたかったです。陛下、ご不自由でございましょう。私に出来ますることがあれば、何なりとお申しつけ下さい」と。 陛下は、再びスクッと立たれ、 涙をポロポロと流し、 「命をかけて、閣下のお袖にすがっておりまする。この私に何の望みがありましょうか。重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように」と。

そののちマッカーサーは、陛下を玄関(ホール)まで伴い、見送ったのです。

皆様方、日本は八〇〇〇万人と言いました。

どう計算しても八〇〇〇万はおらなかったでしょう。 いかがです? 一億の民から朝鮮半島と台湾、樺太をはじめ、すべてを差し引いて、どうして八千万でしょうか。 じつは六六〇〇万人しかいなかったのです。

それをあえて、マッカーサーは、八〇〇〇万として食糧をごまかして取ってくれました。 つまりマッカーサーは、いわゆる、陛下のご人徳にふれたのです。 米国大統領からは、日本に一〇〇〇万の餓死者を出すべしと、 マッカーサーに命令が来ておったのです。 ただ一言、マッカーサーは、 『陛下は磁石だ。私の心を吸いつけた』 と言いました。 彼は陛下のために、食糧放出を八〇〇〇万人の計算で出してくれました。 それが後で、ばれてしまいます。

彼が解任された最大の理由はそれであったというのが、事の真相です。   

これが事実です。

これを読んで下種の勘繰りをする日本人がいるのならそれは日本人ではありません。

戦後の日本はマッカーサーの言う通り、今でも左翼の嘘が教えられ続けている。 ニセの知識は今すぐにでもデリートするべきだ!

命がけで戦ってくれた先人に対しても侮蔑以外の何物でもない。

これは日本の教科書だが、今でも大嘘が教えられているのだ。 世界を白人の植民地にしようとしていた米英相手に日本は戦ったのだ。

世界の舞台で人種差別撤廃をはじめて提案したのが日本だという事も忘れてはならない。 戦争には敗れたけれど、その後アジアは皆が独立した。

日本の大義名分は勝ち取った訳だ。 日本にとって、いちばんの悪は米英だったのだが、 先の大戦でアジアを裏切った国こそ支那であり、日本を日清戦争日露戦争へと戦争にひきずりこんだ元凶が朝鮮人なのだ。

特亜は日本にとって害悪でしかない。

そして日本に入り込んだ反日活動を行う朝鮮人どもが我々の天皇制を侮蔑している。 こんなやつらに天皇陛下の事を1ミリも語らせたくはない!!

あなたは皇室を侮蔑する外国人を許すことができますか?

「私は絶対に許せません!!」